にし阿波、日本の農の原点(3)

にし阿波の山々を巡りながら、あちこちに小さな集落があることに気づきます。森を抜け、川を隔て、切り拓かれた場所に家屋と田畑と石積みがパッチワークのように山に貼りついた独特の風景が広がる。そんな風にして、標高100〜900mの傾斜地には約200の集落があり、400年以上も前から変わらない景色を残しているのです。

その景色を形作ってきたのは、農を中心とした自給自足の暮らし。そしてその農作業を支えているのは、この地域の鍛冶屋さんが鍛える道具です。昔の農村には、必ず鍛冶屋さんがいて、その土地や使う人に合わせて道具が作られていました。道具の使い手である農家や木こりは、日々大切に手入れをし、修理が必要になったら季節ごとに野鍛冶に直してもらいながら、その道具と一体になり、技術を磨いていったのでしょう。にし阿波に限らず、各地でこのような習わしが姿を消していくことは、その精神までをも失ってしまうようで、寂しいことです。せめて、道具を大切に手入れしながら、使い手としての身体と心を鍛え続けたいものだと感じます。

そんなことを思いながら、にし阿波で野鍛冶を続ける大森豊春さんを訪ねました。変わらない景色の中で伝統を生きる方には、取り巻く社会が変わりゆくさまがどのように見えているのでしょう?

大森さんが暮らすのは、巨樹の里として知られる一宇村。地元の人でさえ、足を踏み入れたことがない奥地の山の上の暮らしです。見渡す限り山の尾根、剣山もすぐ近くに迫っています。

ご自宅の周りには傾斜地の畑があり、蕎麦が農りを迎えています。収穫したてのこんにゃく芋を干していたり、カゴには柿が積まれていたり、とどの家庭でも同じ景色を見ることができることに、地域の自給率の高さが伺えます。大森さんは、ご夫婦で自給農を営みながら、野鍛冶だけでなく、大工としての腕前も遠方から依頼を受けるほど。ご自宅のあちこちには、大工道具や農具、刃物が存在感を放っています。「これは何をする時に使うものですか?」用途をお聞きする度に手に取る道具は、確かに大森さんの手のシワにピタリと馴染んでいるように見えるのです。

工房には、サラエやヨツゴ、天鍬など傾斜向けの農具や、鋒の尖った剣鉈も。近年は刃物を打っていないそうですが、昔はその辺から拾ってきた鉄屑からなんでも作ったと言います。多くを語ることはしませんが、必要なものをその手で作ってきたこと、そのための知恵や技術を研磨しながら生きてきた自負が伝わってきます。

大森さんのお姿から、そしてにし阿波で伝統を繋ぐ人々から共通して感じること。それは、他の誰かと比べるのではなく、昨日よりも明日の自分を磨く姿勢。また過去から引き継ぎ、未来につなげる使命感や誇り。社会の様相が変わっても、変わらずに手足を動かし、目を輝かせ、心を突き動かす何かがある人の強さを教えてくれるのです。

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